2022-11-26
2022-11-20
続 ハビトゥス探究の始まり 8
1「健康」とは何でしょうか?
健康の考察も、病気と同じように
考えて良いように見えます。
つまり、
あ>ある病気の状態が癒された状態
或いは、ある病気が治ったが
別の病気がまだ治っていな い。
それゆえ、健康とまでは行かない、
まだ健康だとは言えない状態です
い>dispositio としての健康
普通、ここで健康が理解されます
う>habitus としての健康
病気をしたことのない人間の
ことを考える?
何か神的な健康を考える必要が
出て来ます
2 ところが、トマスの考え方は
決して、上に出している健康 観
ではありません
と言うのは、まず
う>のhabitusは、健康に対する
過信から出て来るもので、自己の経験
主義的な主張の反映でしない、と
推察されます
3 それでは、他の い>は何処が
間違いなのでしょうか。
そのことを語るには、
substantia ipsa habituum の
ハビトゥス(複数形)の本質そのもの
・存在そのものに関わる問題が
付帯し、今ここでは語れません、
遠回りする必要があります
4 ただ、ハビトゥスを稲垣先生流に
習慣と訳さないで、持続と訳した私の足場が大部、しっかりして来たのではないでしょうか。
ハビトゥスが、広い意味では
安定していない持続、そして
厳密な意味では安定した持続である
ことを、矛盾した表現であると
考える必要がない訳です
5 存在そして状態と言い方をしますと、存在と「マイナーな存在」と
しての状態と言うように、そこに
ある系列を考えることが出来ます
人間は身体と魂から成ります。
で、病気も健康も身体的な出来事に
属し、謂わば流れるような状態
として把握されます
ところが、魂の状態は善の場合、
存在であると理解されます
続けます
健康の考察も、病気と同じように
考えて良いように見えます。
つまり、
あ>ある病気の状態が癒された状態
或いは、ある病気が治ったが
別の病気がまだ治っていな い。
それゆえ、健康とまでは行かない、
まだ健康だとは言えない状態です
い>dispositio としての健康
普通、ここで健康が理解されます
う>habitus としての健康
病気をしたことのない人間の
ことを考える?
何か神的な健康を考える必要が
出て来ます
2 ところが、トマスの考え方は
決して、上に出している健康 観
ではありません
と言うのは、まず
う>のhabitusは、健康に対する
過信から出て来るもので、自己の経験
主義的な主張の反映でしない、と
推察されます
3 それでは、他の い>は何処が
間違いなのでしょうか。
そのことを語るには、
substantia ipsa habituum の
ハビトゥス(複数形)の本質そのもの
・存在そのものに関わる問題が
付帯し、今ここでは語れません、
遠回りする必要があります
4 ただ、ハビトゥスを稲垣先生流に
習慣と訳さないで、持続と訳した私の足場が大部、しっかりして来たのではないでしょうか。
ハビトゥスが、広い意味では
安定していない持続、そして
厳密な意味では安定した持続である
ことを、矛盾した表現であると
考える必要がない訳です
5 存在そして状態と言い方をしますと、存在と「マイナーな存在」と
しての状態と言うように、そこに
ある系列を考えることが出来ます
人間は身体と魂から成ります。
で、病気も健康も身体的な出来事に
属し、謂わば流れるような状態
として把握されます
ところが、魂の状態は善の場合、
存在であると理解されます
続けます
2022-11-19
続 ハビトゥスの探究の始まり 7
1 Disposition を、持続の視座で再把握しますと、
安定に至っていない持続と反対に、
安定に到達している持続に分かれます
安定の安定性をより明確にする為に、
比喩をもちいますと、
dispositioや habitusの 在り方をする
「病気」が考えられます
2 次のような病気の理解をしました
あーdispositioでもない病気、 また
Habitus でもない病気
いー安定してはいない病気
うー安定している、治らない病気
えー危篤状態
3 い の安定してはいない病気の状態とは、
時たま病弱になる時に、原因が不明だが
病気だと思われる状態です
う の安定している、治らない病気とは、
原因が分かっていて、その治療法がない
または治療困難である状態です
え の危篤状態 とは、死と一線を隔す状態
4 病気の理解を上の様にして、
dispositio と habitus の 区別は
はっきりしましたでしょうか
それでは、「健康」とは どの様に
考えたら良いでしょうか。
続きます
2022-11-14
2022-11-10
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