二本の黄色いチュウリップに、別の
花二本を添えて撮りました。
水仙の花がピーク時を迎えているようで、
花瓶に移しました。
畑が野菜や木、花で勢いを増すこの頃、
草もまた、わが世の春を迎えているのが
不思議な感じです(腰を屈めて、一時間程
引き抜きました)。
二本の黄色いチュウリップに、別の
花二本を添えて撮りました。
水仙の花がピーク時を迎えているようで、
花瓶に移しました。
畑が野菜や木、花で勢いを増すこの頃、
草もまた、わが世の春を迎えているのが
不思議な感じです(腰を屈めて、一時間程
引き抜きました)。
このチュリップの写真は、照れ隠しです。
打ったおめでたい記事ですが、
自分の意図した記事ではありません。
あの記事の後に続く評論に関して、コピーを取って、自分のmailに
送った積りでした。
それが、blogに行ってしまった!
何という間違い!
でも、Hominis est eror. という言い方もありますので、
御勘弁をお願いします。
1 歌会始めがありました。自分が気に入った歌は
次の詩です。
鈴懸の木から落ちにし実を割りて
ふはふは綿毛を空へと飛ばす
ふはふは、という言葉が良いと考えます。
ふはふは の前の文章、
「鈴懸の木から落ちにし実を割りて」は
所与として眼の前にある自然、眼に映える豊饒な世界、
そして落ちて来た実(今年のお題)が有る。
はてな、何だろうか?と手で割ってみると、
ふはふはの綿毛だ。
ふはふは以下の文章は、それ以前の所与的な世界から、
turn して、自発的、意志的世界を描きます。
2 これは、間違っていないと考えますが、短歌や俳句
そして詩とは自分の気持ちや感情を
歌い上げる ものだと考えている人が多いですね。
ほとんどの人がそうでしょう。
しかし、それは間違っていると考えます。
自分の気持ちを歌ってはいけない、そしてまた
単なる自然の客観的描写の詩もダメ。
3 それでは、どんな詩だったら良い?
ある写真が良い、という時、コントラストがないといけない。
コントラストが有りながら、全体が一性を保っている。
したがって、構図という理性の働きのなかで、
絵の美しさ(それはカメラの性能? )を追求しなければならない。
短歌や俳句の場合も、あるコントラストを作り出し、
そのコントラストを統合することの出来る詩を
良い詩だと考えます。
4 上で自分が気に入った詩として紹介しているは、
秋篠宮家次女佳子様のものです。
少しだけ手をいれた形の再放送 2013 - 5-30 です。
🍅🍅
真っ赤な真っ赤なトマトが採れたよ、
大きな大きなトマトが採れたよ、
たくさん たくさん ミニトマトも採れたよ。
今夜と明日は野菜カレー。
玉ねぎ、人参、じゃがいも、かぼちゃ、
昆布、トマト達 そして バナナ。
え、何で🍌?
半年後、メィルが届きました。
今度、美味しいカレーを御馳走します。
愛犬と二人で食べに来て下さい。
傍白:マイルドな味が最高!
貴方も作ってみたら、バカナカレー!
🍅🍅🍅