2019-05-30

苦しむ家族の世界     時間    十一回目

21 前回、制度的なものと現在までの持続する時間(安定した仕方で持続する時間)を、
わかり易くする為に、家族という制度に焦点を絞りました。
そして、家族の一人一人の人格的なものを大切にすることを通して、この制度を
守るいう基本的な立場を示しました。

今日からは、それとは反対の世界、ひとの人格的なものが大切にされない、
したがって、また家族(これから家族の制度と言う表現を単に家族で表記します)
の世界が上手く行かないお話をします。

ひとが生きていく際、二つのことを大切にしなければならない。
一人一人の人格的なものとその全体としての家族。

そして、このことが上手く行かない。

22 次の引用は、日本経済新聞 私の履歴書 2019年5月からのものです
(まだ掲載が今日現在、続いています)。

  🌏🗾🌏🗾🌎

  母は『おばちゃんの言うことをよく聞きなさい』と、それだけ言い残してソウルに
  帰った。東京に向かう前、(当時朝鮮)ソウルの家で父と母が
 『おまえが育てろ』『あなたが育てて』とやり取りしていたのを耳にしていたから、
  父と母の両方から捨てられたのだと思った。

  子供がいなかった戸越(銀座)の伯母は、私を実の娘のようにかわいがって 
  くれた。やがて宮前尋常小学校に入学した。でも、伯母が送ってくれないと
  学校に行かない。行っても伯母の姿が見えなくなると追いかけた。

  両親に捨てられたと思い込んでいた私は、おばちゃんにも捨てられることを
  幼い心の中で一番恐れていた。
  橋田壽賀子(脚本家)二回目

  🏭⛪⛪⛪⛪⛪ 

イランで80何パーセント視聴率を挙げたテレビドラマの「おしん」の作者の文章であると、言えば、あるヒトはおしんが最初の奉公先へ、筏に乗って最上川を下って行く
場面を想い出すかも知れません。まだ、雪が残っていた寒い日です。

わたしは、上の「私の履歴書」を読む時、橋田さんの幼い頃の辛い記憶が
上の おしん に投影されているのかな、と思います。

23 二つの視座を持って生きて行くべき父親また母親が、実は上手く行かない 
(現代人はすぐに、家族の崩壊とワカッタふりをします)。
しかしながら、二つの視座ー子供の人格的なものを大切にし、また社会の制度
としての家族を守ることは、やさしいことではない、本来的に難しいのだ、と
考えます。

🗻

2019-05-28

制度的なものの記憶理解の深まり   時間 十回目 

18 ひとが生きていく時、大切な言葉が有ります。

この世で出会うひとに対する、自分の理解の根底に流れているもの、そして
また、出会うひとから自己が受ける理解の根底に流れているものが有ります。

それは、ひとが(何らかの)ひととして有る、そうした時に用いられる
言葉の「人格的なもの」です。

これから、この人格的なものという概念を用いて、制度的なもの
としての記憶理解を深めたい、と考えます。

19 ひとがひととしてある場合、人格という概念が有りますが、
人格的なものとは人格より広く、身体的なものを含む柔らかい概念です。

そしていま、制度的なものの記憶理解の話を始める際、大切なことが有ります。
それは、その制度的なものを守った、反対に守らなかったことを抜きに
してここでの記憶理解を深めようとしないことでしょう。

単純に、制度的なものの記憶そのものの話を主題化すべきではなく、
それを守る、守らない視点の元での記憶理解が大切で、しかも
そのことが不可欠だと考えます。

20 上の二つのこと、人格的なものの視点と、制度的なものを守る、
守らない視点の構図の中で、私たちに身近な存在である家族という制度に
眼を向けてみます。

ーー幼少の時、父、或いは母は働くことを通して自分を含めた他の
家族成員の人格的なものを大切にし、家族という社会的な制度を守った。

やがて、大きくなった自分も働き出し、家族の他の成員の人格的なものを
大切にして生き、このことによって家族の制度を守って来た。

更にあるひとは結婚を通して、新しいパートナーそして生まれた
子供の人格的なものを大切にすることによって、新しい
家族の制度を守って来ているーーー。

🗻


2019-05-26

制度的なものについての記憶   時間   九回目

15 過去と記憶の話を終りにして、今度は、現在まで持続する時間と記憶の
話に移ります。

ここで、主題化して来る概念が、制度そして制度的なものです。前に言及した際に、
具体的には、

そのひとが属している国の様々な制度的なもの、言語、憲法等々の諸々の法律、
そして家族、また公的な企業や民間の企業ーーー

まだまだ、たくさんあるのでしょう。

と、書いていました(時間 五回目 番号6を参照)。

ここで、制度的なものと表している概念は、制度より広い言葉です。
国そのもの、社会的な規範、不文律(明文化されてはいないが守るべき事柄)
を、更に含める必要があります。

16 差し当たって、ひとにおける過去の経験そしてその記憶が、
その当事者の私的な世界に属するのに対して、制度そして
制度的なものの記憶とは、公の事柄、社会的な事柄の世界に属する、という
あるコントラストの構図のなかで理解することが出来ます。


次の本からの引用は、この構図のなかで、一人で何かを為すのは良いが
多くのひとのなかにはいると、上手く行かないという人間の話です註)。
  
  🏗️🏗️🏗️🏗️🏗️
   福田少尉は、どうやら軍隊が苦手であったらしい。
   大阪外語時代、軍事教練で配属将校が『右向け、右』の号令を
  かけるのだが、福田生徒は列のなかでひとり『左』を向いてしまう。

   それも一度や二度のことでなく、教練がおわって配属将校に
  こっぴどく叱られると、ションボリと仲間にこんな言いわけを
  したそうだ。
   『何人か一緒にいると、もううまくいかんのや。一人対一人
  ならええんやけど』
  🏜️🏜️🏜️🏜️🏜️🏜️

17 ところが、制度的なものとして現在までの持続する時間の意味を
考えますと、過去そのものの安定性の高い記憶と現在まで持続する社会
制度に関わる時間を、単に、 「 私 ー 非私 」 という対立する枠組みで
もって理解することは間違いであると、考えます。

註)司馬遼太郎に日本人を学ぶ  森史朗 文春新書 2016年
🗻続きます

2019-05-24

ひとはどうして死ぬの?    笑い話

☹️ ひとはどうして死ぬの、お父さん?

🤥 それはさぁ、ーーーうーん。ーーーーワカッタ。
    頭の中に、たくさん悪い記憶が溜まるからだ。

    たくさんの悪い記憶は、まず、躰を蝕む。すると、ひとの躰が
    いろんな形の病気に苛まれる。
    そして、こころまで、蝕んでしまう。

  ひとが死ぬ原因は、悪い記憶の蓄積の為なんだ。

😡 お父さんは、これまで病気にかかったことがなかったよね?

🤥 うーん、ああそうだっけ!

🙁 つまり、悪い記憶は持ってないよね?

🤥 ーーーー ーーーー(沈黙)

😦 黙っているということは、たくさん悪い記憶を持っている?

🙄 うーん、持っているみたい。ーーー、たくさんか、どうか、
  知らないけど。


😢ーーーーー
(涙ぐむ)ひよっとしたら、もうすぐ、お父さん、 
 死ぬんじゃないの?

 🗻

2019-05-23

時間は何するの? ブログ 再 放送 2013-01-17 Thu

前置き: 次の詩は、秒刻みの時間、流れて行く時間に
眼を凝らして、忘却の意味を考えたものです。

プロローグ
 時間(クロノス)が医者(イアトロス)である、
の意味を黙想して



 何故、癒やすのが困難な痛みを、時間が消し去ることが
出来るのでしょうか?

時間は良質の消しゴムなのでしょうか?
ゴシゴシの時間に寝かされて、消え去っていくのでしょうか?

それとも時間は、峡谷の水流でしょうか?
毎日少しずつ、記憶を削り落していきます。

それとも何でしょう?

痛みの現場から走り去ることがゆっくりした
忘却の走り手なのでしょうか?

それとも、何でしょうか?

治療するのが遅い医者、人間を超えて存在する
粘り強いお医者さんでしょうか?

🏜️

笑い話        どうして一杯にならないの

😗 おとうさん!
  水道の蛇口をひねると水が出てきて、バケツでその流れて来る水を
  受け止めると、一杯になるよね? 貯まっていくのだから。

🙄   そうだね、でも、もしそのバケツに穴が空いていたら一杯にならない。

😯 うん、一杯にはならない。でも、穴が空いていないバケツを考えるんだ。

  そしたらだよ、水は目に見えるけど、目に見えないものの場合はどうなるの?

🙄   穴の空いていない何か器に貯まっていくことを考えたら、良いかも。


😯 でもね、ひとの記憶の場合、どうなるのかなぁ?おとうさん判る?

🙄   記憶が少しずつ、頭の何処かに貯まっていくんだろうね。

😯 一杯にならないの?40年も50年 も生きてたら?

🙄  僕の頭はバケツじゃないよ。そんなこと言ったら、60や70のひとは 
   記憶が頭のなかで一杯になったら、一杯になるだけでなく、頭が
   重たくってしようがなくなる。

😯 倒れても可笑しくないね!

🙄  一杯にならないのは、どうしてなんだろうね。
   自転車のタイヤが空気を入れ過ぎると、チューブが膨らんで
   外にはみ出す事がある。


    多分、忘れるちからが要るんだ、忘れる事が出来るひとが
    頭が記憶で一杯にならない!   
    嫌な記憶は、消してしまわないといけない。

    でも、忘れるちからはどうやって手に入れる?

😯 ウ~ン、解らない、どうやって手に入れるの?

2019-05-21

笑い話

😧 今日、怖かった!本当に。

🙃 どうしたの?

😧 怖かった!
駅の前のスーパーマーケットのイートインで
半額になった幕の内を食べていたら、ポニーテールをした
美輪明宏みたいなひとが、机の前にある椅子に座ったの!

🙃 男のひと?それとも女のひとだった? 

😢 そのひとは、自分は女だと言ったの。でも、変なのよ、ーー
鼻の下にブツブツのヒゲがあった。そして、モミアゲが長く伸びていたわ。 

リュクサックに書かれた名前は確かに博美だったの。
ところが、年齢は35だと言ったから、怖くなって帰って来た!
最初、相手の目を見た時、25位にしか見えなかったのよ。

🙃 25だと思って話していたら、35だったから?

😧 相性が合うからと話をしたけど、全然、勘違いしている気がして来た。
君子危うきに近寄らず!

2019-05-19

記憶理解の深まり       時間  八回目

13 前前回、六回目の時間(時間と記憶)を書いた時、
迷ったことがありました。

安定性が低い記憶について言及した際、記憶という概念の中に忘却されたものを
含めてしまった方が良いのか?
何故なら、ある時、甦ることがないとは言えないではないか?
もしも、甦ることがあれば、それは忘却されてはいなかったのだ!

それとも、忘却は忘却であるから、記憶とは一線を画すべきある、忘却されたものは、
安定性が限りなく低いという言葉の適用が出来るとしても、記憶だと言うべきではない。

忘れるそして忘れた、とは想起するそして思い出した、とは区別すべきだ。
またここから、忘れられたものと記憶は区別される。

わたしが上の二つの考え方から採ったのは、前者の考え方です。

したがって、安定性の高い記憶と安定性の高くない記憶という区別をしただけでなく、
更に安定性の高くない記憶に関しても、また、安定性が相対的に高くない記憶と
安定性が極めて低い記憶の二つに分けられるべきだと、考えます。

14 ひとは死ぬ直前に、記憶が走馬灯のように回ることがある、と言われます。
それは、完全に忘却の彼方にあるものがグルグルと回るのでしょうか?

それとも、単に安定性が低い形の忘却されたものが、グルグル回るのでしょうか?

否、安定性が高い記憶がグルグルと回るのでしょうか?

それとも、これら三つの種類が何かミックスした形でグルグルと
回るのでしょうか?
🗻

2019-05-12

あるシスターの新しい喜び    ブログ 再 放送

👭あるシスターの新しい喜び          2013-04-14 Sun 

新しい童話を送り致します。


大人の童話(2)

森の中の小さな修道院に、女の孤児が二人預けられました。


二人は双生児で、髪の色と背の高さ以外は同じ外見に見えました。

背の高い茶色の髪の子供は、茶色のメアリーと、背の低い赤色の髪の子供は、
赤色のマリーと呼ばれていました。


一年が経ちました。
新しいお世話係が決まりました。
世話役になったシスターは、赤色のマリーと茶色のメアリーを、差別しないで、
何時も同等の愛情を二人に注ぎました。

茶色のメアリーは走るのが速く、毎日修道院の広い敷地を走り回っていました。
赤色のマリーはジッとしている子で、本を読んだり修道院の建物の外では
アリ達のうごきを観察するのが好きでした。
シスターは二人の未来がどうなるか、楽しくてなりません。


ただ、不思議なことにメアリーとマリーが大きくなるにつれ、
既にあの世に行った自分の母親にだんだん似てくるように思えてなりませんでした。

シスターの母親は、自分を産んだ後十歳の時、乳癌で亡くなっていたのです。

ある時、こころの中で天へ向かって叫びました。
『どうしたら良いか、教えて下さい! 教えて下さい!』

しかし、天は何もお答えになりませんでした。


メアリーとマリーが十歳になったある日、二人は遠く、離れた処に住む
お金持ちの夫妻に引き取られて行きました。

シスターは押し黙り、美しい顔から何かが無くなっていきました。

十五年経ちました。シスターの楽しみは、修道院の中にある田畑を耕して
野菜を作ることでした。


ある日、この修道院に久しぶりに、若いシスターが入って来ました。
その顔をチラッと一瞥した時、年老いていたシスターは我を
忘れる程に驚いてしまいました。

何と、あの赤色のマリーだったのです!

シスターは倒れそうになりました。やっとのことで、マリーを両手で
抱き締め、泣き出しました。


また十五年経ちました。
年老いていたシスターは、いま、同じ修道院で院長の補佐になっている
シスター ・マリーの手足となって働いています。

シスターは思います。
『わたしはこれで良かったのかしら。』

天はやはり黙ったままです。

👩‍👦‍👦👩‍👦‍👦👩‍👦👩‍👦‍👦


過去のあること       時間 七回目 

10+ このエッセイのスタートでお約束しました考察のスタイル、

一、主題となる言葉を二つに分ける
二、新しく絞り込まれた言葉についてのひとの経験、体験を考える
三、更に、その言葉のあることを考える

を、踏襲した仕方で、話を続けます。

いま、主題化している過去は、二つに分けるとすれば、
過ぎ去ってしまった時間としての過去そのものと現在まで持続してある
時間(続くことを強調すれば、現在までの時)に分けることができます。

11 後者の制度的なもの、したがって社会的なものの多くが、学習や意志的な
学びを通してひとの記憶に蓄えられるのに対して、過ぎ去ってしまった時間としての
過去そのものは、ひとの知性や理性の経験として直接的に与えられます。

こうした経験の中でも、「みる」はひとに取って大きな役割を持っています。

みる、は見る、見守る、見舞う、見据える、診る、見張る、見通す、観る‥…と、
様々な文脈でもちいられます。
英語で speculation とは未来に関わる みる の意味で、ここから株の投資の
意味が出て来ます。

みるはまず、感覚的な世界そして知覚的な世界に向けられていて、人間の
成長に決定的な役割りを果たしていると考えます。
幼児の躾を考えた場合、失明している、また耳が聞こえないとは、大変な
事だと想像します。


みるは、更に、その知性的な働きを通して洞察や観察、気配り、注意、本質的な
ものの把握まで拡がりを持つ言葉です。

12 恐らく、多くの みる の中でも、夢や幻をみる は、不思議な記憶に属する
のではないかと考えます(夢は未来に関わるだけでなく過ぎ去った事にも関わる)。

桶狭間の戦い出陣前に、織田信長が歌った歌また、豊臣秀吉の辞世の句は、
わたしたちが考えがちな過去に属するリアリティに対して距離を、しかも
大きな距離を置いてしまっているからです。 

信長の歌
人間(じんかん)50年 下天の内をうちくらぶれば 夢幻のごとくなり

豊臣秀吉の歌
露と落ち 露と消えにし 我が身かな  浪速のことは 夢のまた夢
   註:浪速とは大阪城。

2019-05-08

笑い話

😮ーーーなのよ!

😒また、前に言ったことを!
もう、同じことを二回も、言わないで。
鬱陶しいんだから。


😯……… だけど、歳取るようになると、みんな二度位、
同じことを言うわ。

😒みんな、言うとは限らないよ。
僕は絶対に同じことを二回も言わない。


😮えぇと、何言おうとしていたんだっけ?

  😷

2019-05-06

想起また記憶と呼ばれるもの   ブログ 再 放送     

🛣️ 想起また記憶と呼ばれるもの   新しい微笑いの詩 1014-07-06

🛤️ 時の存在は何処において見出されるのか(3)



小学校に入って一年目の秋、僕は学校から離れたことがあった。
盲腸手術の為に近くの病院に入院したのであった。

膿が広がったのか、腹膜炎を患っていて、重たい方の
盲腸手術だった。

父親が僕をリヤカーに寝かせ、舗装されていない埃が立つ道路を
病院に連れて行った。
入院は一ヶ月以上になった。


この五歳の時のある日、小学校一年の同じクラスに属する
女生徒が見舞いに来たことがあった。
郵便局長の家族の姉妹を連れて、三人で僕一人しか居ない個室に
何気なく入って来たのであった。

その時の僕の驚きは、ただ「恥ずかしい」というものだった。

英語で ashamed だと言えば、悪いことをして、その行為を
恥じることなのだろうけど、僕がひととの関係で「恥ずかしい」と
言うのは、その恥ずかしい、ではない。

ただの苦痛と言った方が判りやすい。


約60年程前の、この記憶はこれまで何回となく目の前に甦り、
しかもいまでも甦る(これからも甦ることがあるのだろう)。

想起とは、過去のあることを再現前化することであり、
この現在化されたものを、特に記憶と呼ぶ。

僕が考えるのは、想起と呼ばれるものは、二種類あるのではないかということである。
ある想起は、安定性が高く持続的である。ところが、ある想起は
安定性がなく持続的ではない。

質的に異なる想起、そしてそれに呼応する記憶があるように考える。
🗻

2019-05-05

時間           六回目

😶時間と記憶

7+ 日常は、未来へのある何らかの志向と過去への
方向性のなかにある現在のことですが、今日は
ひとの経験としての記憶の意味に光を当てます。

いま、過去と現在まで持続する時間の二つを
記憶との関係で観るとして、まず、過去と記憶の
結び付きを取り上げます。

8 記憶の視座で考える、単純に過ぎ去っている過去とは、
ひと、或いはひとびと(そして自己の周りの世界)の
為した行為、またその結果として考えることが出来ます。

小さい時、それまで住んでいた処を離れ、新しい場所に
引っ越した(通う学校も変わった)。
就職試験に合格した。
病気で入院した。
可愛がっていたペットが死んだ(その後ペットは飼っていない)。

9 過ぎてしまい、今はもうない過去は、基本的に、一過性の
出来事です。
ところが、記憶の視座で把握しますと、その出来事に呼応
している記憶とは、一種類の記憶だけではないように思われます。

ある種の記憶は現在まで持続していて、想起すれば、直ぐに思い出す
ことが出来る。ある過去に関しての安定した記憶がある。

ここで、安定した、とは自己にとってまた、周りのひとびと
(更に周りの世界のひと)にとって安定している、しかも、
良かった出来事だけでなく、悪しき意味の出来事を含めて安定しているです。

ところが、これに対してまた別の種類の記憶があります。

決して、安定しているとは言えない記憶があります。

10 その一つは、行為の持つ意味合い、一過性という性格が前面に出る際の
記憶の在り方です。

つまり、その記憶は全く、忘却されてしまっている記憶があります。

また更に、忘却されてはいないが、何らかの(想定していなかった)
きっかけが原因になり想起が起こる記憶があります。

例えば、偶然、街のなかで声をかけられ、何十年も前の知人であることに
気付く。これは、実に不思議な経験ではないか、と思います。

また、上の考察とは別の仕方で考えられる、安定しているとは言えない
記憶もあるのでしょう。
例えば、その記憶を嫌悪していて、抹殺する事が出来たそうした何か
(ただ、また何かのきっかけがあれば、顔を出すかも知れない)。

🗻続けます

2019-05-03

心に留まる恋愛映画(1)   ブログ 再 放送  

☺️ 心に留まる恋愛映画(1)新しい微笑いの詩 2013-0506

映画と言えば、恋愛映画を想い浮かべるひとが多いかも知れません。

「マジソン郡の橋」は、恋愛なるものを描くことに成功しているように
思われます。

主婦で退屈な生活をしている元教師と世界を飛び回っているカメラマンが
偶然出逢い、恋に陥るのです。

きっかけは、カメラマンが、ぼくはガリに行ったことがある、と言ったことでした。
元教師はイタリアのガリで青春時代を過ごしていたのです。
ここ、アメリカの中西部での生活はいい夫に恵まれているとは言え、満たされないものが
有ります。

気付きました?bored 退屈している という言葉が彼女の口からは決して出て来ないのです。


恋は、自己についてのある欠如の認識と把握があり、この欠如を満たしてくれる様に
見える存在が現れる時に始まるのでしょうか?

その人と一緒に居る、話す、笑う、食事をするーーー等々が、出逢い以前とは
自分が違った人間に変わっていることに気付かせてくれます。

元教師の女性主人公は一度、スゴイ大声で笑うのですが、しばらく笑う事を忘れた
時間の中に居たのかも知れない、と思ったりします。

恋することで、相手の存在は自分の人格、自分の人格的なものの一部になるのです。
しかも、切り離せない大切な一部に、です。


別れる時が来ました。カメラマンが一緒に行かないか!と誘うのですが、
彼女は二人の子供たちが居る家に留まる選択をします。

でも、その後死ぬまで、彼を忘れずに生きたようです。彼も死ぬまで、
たった四日間の記憶を大切に生きたようです。
😂