21 前回、制度的なものと現在までの持続する時間(安定した仕方で持続する時間)を、
わかり易くする為に、家族という制度に焦点を絞りました。
そして、家族の一人一人の人格的なものを大切にすることを通して、この制度を
守るいう基本的な立場を示しました。
今日からは、それとは反対の世界、ひとの人格的なものが大切にされない、
したがって、また家族(これから家族の制度と言う表現を単に家族で表記します)
の世界が上手く行かないお話をします。
ひとが生きていく際、二つのことを大切にしなければならない。
一人一人の人格的なものとその全体としての家族。
そして、このことが上手く行かない。
22 次の引用は、日本経済新聞 私の履歴書 2019年5月からのものです
(まだ掲載が今日現在、続いています)。
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母は『おばちゃんの言うことをよく聞きなさい』と、それだけ言い残してソウルに
帰った。東京に向かう前、(当時朝鮮)ソウルの家で父と母が
『おまえが育てろ』『あなたが育てて』とやり取りしていたのを耳にしていたから、
父と母の両方から捨てられたのだと思った。
子供がいなかった戸越(銀座)の伯母は、私を実の娘のようにかわいがって
くれた。やがて宮前尋常小学校に入学した。でも、伯母が送ってくれないと
学校に行かない。行っても伯母の姿が見えなくなると追いかけた。
両親に捨てられたと思い込んでいた私は、おばちゃんにも捨てられることを
幼い心の中で一番恐れていた。
橋田壽賀子(脚本家)二回目
🏭⛪⛪⛪⛪⛪
イランで80何パーセント視聴率を挙げたテレビドラマの「おしん」の作者の文章であると、言えば、あるヒトはおしんが最初の奉公先へ、筏に乗って最上川を下って行く
場面を想い出すかも知れません。まだ、雪が残っていた寒い日です。
わたしは、上の「私の履歴書」を読む時、橋田さんの幼い頃の辛い記憶が
上の おしん に投影されているのかな、と思います。
23 二つの視座を持って生きて行くべき父親また母親が、実は上手く行かない
(現代人はすぐに、家族の崩壊とワカッタふりをします)。
しかしながら、二つの視座ー子供の人格的なものを大切にし、また社会の制度
としての家族を守ることは、やさしいことではない、本来的に難しいのだ、と
考えます。
🗻
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