2019-05-19

記憶理解の深まり       時間  八回目

13 前前回、六回目の時間(時間と記憶)を書いた時、
迷ったことがありました。

安定性が低い記憶について言及した際、記憶という概念の中に忘却されたものを
含めてしまった方が良いのか?
何故なら、ある時、甦ることがないとは言えないではないか?
もしも、甦ることがあれば、それは忘却されてはいなかったのだ!

それとも、忘却は忘却であるから、記憶とは一線を画すべきある、忘却されたものは、
安定性が限りなく低いという言葉の適用が出来るとしても、記憶だと言うべきではない。

忘れるそして忘れた、とは想起するそして思い出した、とは区別すべきだ。
またここから、忘れられたものと記憶は区別される。

わたしが上の二つの考え方から採ったのは、前者の考え方です。

したがって、安定性の高い記憶と安定性の高くない記憶という区別をしただけでなく、
更に安定性の高くない記憶に関しても、また、安定性が相対的に高くない記憶と
安定性が極めて低い記憶の二つに分けられるべきだと、考えます。

14 ひとは死ぬ直前に、記憶が走馬灯のように回ることがある、と言われます。
それは、完全に忘却の彼方にあるものがグルグルと回るのでしょうか?

それとも、単に安定性が低い形の忘却されたものが、グルグル回るのでしょうか?

否、安定性が高い記憶がグルグルと回るのでしょうか?

それとも、これら三つの種類が何かミックスした形でグルグルと
回るのでしょうか?
🗻

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