1 稲垣先生のいくつかのネットの中で、私が皆さんに
お勧めしたくなるネット記事が有ります
ダンテとトマス・アクィナスを比較するような仕方で
稲垣先生が語るヴィデオです
このヴィデオで、稲垣先生は 『神学大全』の
至福直観の意味を深く語られます
2確かに、『神学大全』を先生がそれだけで語る
別のヴィデオが有ります
(例えば 神学大全 をどう読むか 、14回のうちの第八回 )
けれども、素人にも面白いのは ダンテの
至福直観との違い《と違わない点》を
語る先生の話の中においてです
これは、14回に及ぶ Youtuve に
おいてではなく、
別の機会に、今道友信元東大文学部教授の
ダンテ講演会の講師として、先生が招かれ
発表なさったものです。
今道教授は、特に土曜日の日に三時間、イタリア語で
何十年も間 ダンテ研究を続けられており、その
道の博識者だったのです
3 少しだけ 至福について 準備作業をしておきます
至福 beatitudo は 幸福が 限られた人間の世界で
把握されるのに対して、神まで射程を伸ばして
考えられる 善 bonumのことです
『神学大全』第一部の冒頭の至福についての
個所をキチンと把握出来るひとは いないと、
思うのですが、
何故冒頭に 置かれているか解らない、至福
の概念について、
その後、行為 actus、感情情念 (=魂の 受動
Passio animae )の存在 についての考察の通して
それらが 至福の善ではないことが理解
されます
だが、やっと人格的な視座が出てくる
(私が 習慣ではなく) 「持続 」と
訳している habitus 論が、
始まるのが 第49問からです
至福の在り処が、新しく問われることが
始まります
4この講演のヴィデオは、実は 次のヴィデオ
講演「ダンテとトマス・アクィナス —
至福直観 をめぐってー」(2) の準備で
しか 有りません
いきなり、この(2)を 観ないで (1)を
まず、見てください
大勢の観客の前で 実直な稲垣先生の謙遜さが
よく出ているのです