😷前にあるものの大切さ 二つに分けて、生きる(3)
0⬜大きなタイトル「時間と魂の存在」を小分けする感じで、
現在までやって来ています。
以前タイトルを『時間と存在』としよう、としましたが、Heideggerを
からかっているみたいで、「時間と魂の存在」に変えています。
でも何処か、重たい感じで、毎回使うのをためらっています。
1⬜ 前回の要点は、哲学と呼ばれるものは
言葉を大切にするものでなければならない、反対に恐らく、
思想とは言葉を大切にしない、のではないか?
そして、哲学擁護の話をしたのでした。 で、現実について、
また更に、現在の時代について何か語らなくちゃ?
実は、語れないのです(笑い😅)。
ただ、蝉を取る網を
造ろう、とすることは出来るかも。
現実を、時代を把握しよう、とする網を造ろうとすることが出来るか、
どうかが二つのもの、思想と哲学の違いだと考えます。
つまり、思想はその網を造れない。
哲学、メジャーな哲学は造ろうとする。
ソークラテスが『弁明』で語った、《ちょっとした違い》に
似ているかも知れません。
エッセイや詩その他を作る思想家なるものはそうした網を考えない。
しかしながら、哲学者は考えようとする
(実際は出来ないかも知れないけど☺)。
2 ⬜今日の話のポイントは、『言葉を大切にする』と私が言って
いることを深める作業です。
その為に、<前にあるもの>に着目する手法を取ります。
3 ⬜前にあるもの、とは空間や時間を念頭にした仕方で、
まず考えることが出来ます。
●自分の前にポストがある、手をつきだして葉書を投函する。
⦿東條英機が処刑されたのは、昭和23年12月23日、
クリスマスの前日だった(この年は生まれた年で、
東條の死んだ年に生まれたことを、昨年初めて知る)。
4□ 前にあるものとは、次に、言葉の場面、
論理的な重要性の点で言及されます。
前提になるものです。
私が今日、提案するのは、言葉を大切にして生きる、と言う時に、
この第二の意味での<前にあるもの>です。
これが『自己の魂・こころを大切にして生きる』です。
5□しかしこの文章は、哲学に関心があるひとには
陳腐かも知れませんね。
次回、この命題を二つの哲学の世界に
分けて、明確化します。
実はインド仏教哲学でも、心を、といっています。
🗻
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