🔳前置き◻
何時の時代にも、父親、母親とその子供(特に長男長女)との、ものの考え方が
違うことが起こります。
そして、その亀裂は子供の将来の進路を定める時に、最大になってしまいます。
この原因が一つが、親が子供が見えていない、ある意味で魂を観るちからが
ない点に有ります。
にもかかわらず、親の方がちからで、押し通してしまう。
今日のお話はこの延長上に有るものです。
私は、育児は躾をする、しかも自信を持った子供を創ることが
大切だ(だから、子供に自信を持たせ社会に送り出そうと
努めなければならない)と考えています。
ところが、主人公の父親琢治はそれが出来なかったようです。
6 湯川秀樹の作品「旅人」の中に、エピソードと命名された特別な
章があります。今取り上げているのはそこでの話です。
湯川さん一人称の描写ではなく、意図的に三人称の挿話として
つけ加えられています。
実に小川一家を理解するには、大切な箇所です。
秀樹がまだ当時の中学生、一中の時の話です。一中は明治3年、
日本全国にさきがけて誕生した中学です。
7小川琢治と秀樹の母親との葛藤が終わりを迎えてしまうのは、
琢治が当時の一中の森校長に息子の進路を相談する時です註)。
それは、偶然の出逢いから起こりました。
以下はそのままの引用です。長い引用です。
…………ある日琢治は夕方の研究室を出た。赤れんがの
古めかしい色を意識しながら、いちょう並木の間をぬけて百万遍に出る。
と、いきなり背中から声をかけられた。
『小川さん』
琢治はふり返った。小柄で品の好い紳士が、そこに立っていた。
『あ、森さん』
一中の校長森外三郎氏だった。
『いま、お帰りですか?相変わらずお忙しくて…』
『いや』
肩をならべた。
『子供がいつも、御厄介をかけています』
『いやいや、いいお子さんで…』
『…………』
琢治は思わず相手の顔をふり返った。森校長の口調が、率直で、
に明るかったから
8ふと、琢治の中に、一種のひらめきに似たものが走った。
ーーーそうだ、この校長に相談してみるのもいいかもしれない。
………少し飛ぶ🐱飛ぶ🙀飛びます👮…………
『あの子を、どういう方面に進めたらいいかと、実は少し迷っているのだが』
『どういう方面に、というと?』
『つまり、普通に高等学校から大学へ進ませようか、それともーーー
ーーーー
それともどこか、どこか、専門学校でも選ばせようかとーーーー』
森校長は、すぐには返事をしなかった。ふと空を見上げるようにした。
夕日に染まった雲がひとすし、うすあさぎの空をバックに刷きたてた
ように長く伸びていた。
9『小川さん』
と森校長は言った。
『なんでそんなことをあなたが言い出されるのか、私には納得がいかない』
『………………』
『秀樹君はね、あの少年ほどの才能は滅多にない』
『いやあ…………』
『いや、待って下さい。私がお世辞でも言うと思われるなら、私は
あの子をもらってしまってもいいです』
『……………』
『私はあの子の教室で数学を教えたことがある。秀樹君の頭脳というものは、
大変、飛躍的に働く。着想が鋭い。それが、クラスの中で、
とびはなれている。ほかの学科については、成績表を見る以上にくわしくは
知らないが、数学に関する限り……こういう言い方はお嫌いかも知れないが………
天才的なところがある。これは私が保証する。将来……、
将来性のある子だ。あなたが今まで、それが分からずにいたとは
思わないが…………』
【旅人】158頁ー161頁
註)森外三郎校長は、秀樹が旧制中学校の時だけでなく、三校での
旧制高等学校の時にも校長先生であった。三高入学一年の時の
学生ストライキを終始出来なかった金子校長の転出後の新校長が
森外三郎氏である。
小川秀樹に、人生の中で大きな影響を与えたひとであった。
🌝前回、「持続するもの、人柄と人格 (3)」
に誤りがありました。
進路の決断を三高の時にしてしまっていました。
、
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