2019-07-09
中野渡頭取の決断 時間 13回目
1 小説と言えば、情緒的と言うのか、ひとの想い、ひとの行為そしてひとの
情念のリアリティを描くことが中心で、言葉だけの正確さの流れで
物語りを紡ぐことは少ないのではないか。
小説家の 池井戸 潤氏 の場合は異なります。氏の作風は特に半沢直樹が
主人公となる銀行や証券会社の小説に絞れば、論理的な展開、しかも
勧善懲悪でもって一貫している点に、特徴があります。
論理的な組み立てのなかで、勧善懲悪で完結する物語を創ることが出来るのが、
氏の素晴らしい器量ではないか、と考えます。
これから紹介します「ロスジェネの逆襲」註1)という一冊を手掛かりに、
銀行という制度的な世界(そこに日本を観るのが池井戸氏です)を
垣間見ることが出来たらと思います。
2 本のタイトルの 「ロスジェネ(lost generation の略称 失われた世代)」とは、
1994年から 2004年の就職氷河期世代を指し示す表現です。
そして「ロスジェネの逆襲」 とは、狭い就職の門をくぐって、やっと組織の
一員になった人間が、その前の世代、つまりバブル世代の人間(たいした能力も
ないのに出世している?)と闘う、またそれだけでなく自己が属する会社
そのものとも闘う孤独な姿を表しています。
物語りは、東京中央銀行から子会社の東京セントラル証券に出向している
(東京セントラル証券の親会社が東京中央銀行)部長の半沢直樹が、電脳雑伎集団
(以下、電脳と略する)という時代の先端を疾走る IT 企業とアドバイザー業務を
契約するところから始まる。
ところが、その契約がどうしたことか、親会社である東京中央銀行の証券営業部に
かっさらわれてしまう。
3 ストリーは、半沢の疑問、何故最初から、電脳は東京中央銀行と契約しな
かったのか、その解明へと集中していく。
半沢直樹の結論は、電脳の子会社を含めた会社全体で粉飾決算を行っている。
電脳の経営は、本当は赤字なのだ。ところが、東京中央銀行に話を持っていけば、
電脳の子会社に関わるところの粉飾がバレル可能性が高かったから、平素付き合い
のない東京セントラル証券にアドバイザー業務の話を持ってきた。
小説のクライマックスは、行員ではない半沢直樹が頭取以下が集まる銀行の定例会議に
乗り込み(本当はいけないんじゃない?)、電脳への追加融資の不正を暴露、
話自体をひっくり返してしまうところである。
4 次は、上の行内会議の後、中野頭取があるレストランに、粉飾に気付くことなく、
追加の融資を実行しようとした三笠副頭取と伊佐山証券営業部長を呼び出して、
叱責する場面である。その会食には人事部長も同席している。
最初、副頭取と証券営業部長は、半沢直樹を電脳の財務部長へ出向させる陰謀を
詭弁を用いて口に出す。だが、人事部長はそれに反対する。
頭取のちから強い言葉が始まるのはこうした後である。
ーーーーーーーーーー小説の引用の始まりーーーーー
「もし、半沢直樹君がいなかったら、どうなっていただろうか」
やがて中野渡はいった。
「当行は電脳の粉飾に手を貸し、追加融資を合わせて二千億円もの不適切な投資資金を支援するところだった。もし、あの資金を決済した後、粉飾の事実が明るみに出ていたら、頭取である私も、投資資金支援を主張していた君たちも、引責を免れなかっただろう。いま我々が頭取だの副頭取だの、証券営業部長などと偉そうな肩書をぶら下げていられるのは誰のおかげか。そのあたりのことをもう少し考えたほうがいいんじゃないのか」
中野渡の正論の前に三笠の弄した詭弁は色を失い、いまやふたりはバツの悪そうな顔を並べて押し黙るしかなかった。
「電脳への人選は早急に進めたい。さっき三笠君がいったように、証券部門には優秀な人材が揃っているそうだ。もはや問題と答案用紙は配られた。ここから先を誰に任せるべきか。私の考えではーーーー」
ビールをひと口飲んで喉を湿らせ、頭取は続けた。
「この伊佐山君が適任だと思う」
さっと伊佐山の顔が上がり、手に取れるような狼狽を見せた。
「いや、頭取、私はそのーーーー」
反論の言葉を見付けようとするが、混乱した男からは論理的な思考そのものが吹き飛んでしまっているかのようになにも出てこない。
「名誉挽回のチャンスじゃないか」中野渡は涼しい顔をしていった 。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「さらに、今後の展開を読むと、(電脳の)平山社長の退任は規定路線で銀行主導の再建は不可欠になるだろう。その時は、三笠君、君に社長含みで頼みたい」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
「頭取、電脳雑伎集団は、わざわざ私が出向くほどの規模でしょうか」
きっとした三笠が反論を口にしたのはその時だ。苛立ち混じりなのは、副頭取の次のポストととして、電脳クラスの会社へ下ることが異例だからである。
「規模は問題ではない」
中野渡は三笠を見据えると、威厳を込めていった
「全責任を取るからスキームも含めて一任してほしいといったのは君だろう、三笠君。
ならば、電脳再建を成し遂げることが君たちに残された仕事であり、
真っ当なバンカーとしての責務のはずだ。違うかね」
三笠の表情から、血の気が失せていく。唇を真一文字に結び、膝の挙を握りしめて
中野渡を窺うその目は凄まじかった 註2)。
ーーーーーーーーーー ーーーーーーーー終わりーーーー
この後、この二人は小説から消えて、二度と顔を出す事はなくなる。
5 副頭取と証券部長の悪企みで、電脳雑伎集団の財務部長へ出向させられる陰謀を
感じていた半沢直樹の運命は、この中野頭取の裁定の後に逆転。
半沢は、東京中央銀行 営業第二部 第一グループ 次長へと栄転を果たして、
勧善懲悪の物語は終わりを迎える。
他の銀行小説では行内の融和を重視して、優柔不断な頭取として
描かれたことのある中野渡は、この物語では厳格な判断力を
持つ組織の長になっている。
註1)ロスジェネの逆襲 池井戸潤 文春文庫 2015年
註2)同書 第九章「ロスジェネの逆襲」 401頁ー402頁
🗻
もし、ある国で革命が起こり、図書館には勧善懲悪の小説以外は置くことが出来ない、という命令がその国に出されたら、どう成るのでしょうか?
返信削除殆どの小説は図書館から消えてしまうかも知れません。