2022-10-05

❇トマスの habere の哲学1🌠

10月に入りました。思索出来る
季節に入ったのではないか、と
思います

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1この文章のタイトルは正確には、
トマスの分有とhabere の思索
になります

イデアの「分有と離在」という
亡き松永雄二教授を念頭に
おいて書いています(昨年11月に
投稿した『素朴なイデア論』を参照)

「分有とhabere 」の思索というのは
簡単に言えば、単純にhabereの
思索です。
つまり、habere だけで理解し、
頭の言葉『分有』を取っても良いのです

2 しかし、すると、habereを「所有」の意味に理解してしまい、誤解を招くことになります

あくまでも、分有と持つこととは、
与るという意味での持ち続ける
ことです

持つことを誤解しないように柵を
はめた言葉が、分有 です

3 トマスは分有するのラテン語
participare を使わないで、思索出来ると思ったように見えます。
代わりに、私達に迫って来る言葉が、
habere そしてその名詞形の
habitus です

4戦後の1954年、R.J.Henle, は
Saint Thomas and Platonism
を書いて、それまでのトマス研究とは一線を画する書物出しました

続けます

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