1変な日本語であろう。前回の
存在のある、という表現である
でも、考察の流れとしたら、
仕方がないのだ。言葉がある、
その言葉のあることに向かう、
でも言葉を言葉たらしめている
のは、その存在である
だったら、そのあることが問題に
なる
だけど、存在をあると考えると、
あるのある となって、ますます
変である
2 次のように考えてみれば、
少しは明るくなる。
存在という言葉を、魂の存在と
限定して用いることだ。それ以外
の意味では使わないことだ
そして、魂の存在とは魂の経験を
意味する。ここが大切なところだ
3持続した仕方で、私達の魂が
経験しているものに眼を向けて
みたら良い。
思慮に代表される所のさまざまな
善、またこれと反対のさまざまな
悪徳
わたしは、habitus を通して
魂の完成した状態 perfectio
とこれの反対の状態を描くことが
トマス・アクィナスの哲学の目的
ではないかと観ている
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