経験主義というものを、中世ヨーロッパのなかに見つけるとしたら、どうだろう。
聖ベルナールは聖トマス・アクィナスの少し前に
活躍した人で、日本の歴史では『保元の乱1156年』の前に、
生きた。1090年誕生そして1153年逝去。
わたしは、長い間 、 知 る to know を 主題的に
論じたことがない。
今から、知るとは 何かを 論じたい。
1 自分を知ること
まず、あなた自身の 熟慮 (= 深く知ること ))から始めなさい。自分の事を無視して、他人のことをあれこれ考えない
ようにした方がよい。
『たとえ、全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、
何の益になろうか①』
あなたの知恵が どれだけ すぐれているとしても②、
自分を熟慮すること(= 深く知ること ))が欠けているならば、真の豊かな知恵に到達していないのだ。この 欠 落 が
真に重要で決定的なことであると 私は思う。
たとえ、あなたが宇宙のあらゆる神秘 ③ 、地上の果てに
有るもののこと、 天の高さと海の深さを知りつくしている
としても④、
もし、自分を忘れているならば、私には 土台のない所に
家を建てようとする⑤ 建築者のようにみえる。
手に入るものは建物ではなく、 崩壊 であろう。
もしあなたが自分以外の所に何かを 積み上げられる
としても、それらははかねく、いちじんの風に吹き飛ばされて
しまう塵の山であろう。
そう、自分自身に立ち返っていない人は、知恵者と
呼ばれる値打ちはない。 真の知恵者はまず第一に、
自分が 誰であるかを知っているので
なければならない➅
秋山知子 稲垣良典 共訳 聖ベルナール小伝 教文館
104頁―105頁
引用①②➂④⓹⑥ は次回の記事を お待ちください。
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