2020-06-28

緑色とのコントラスト(2)


   鉄砲ユリは、攻撃的な雰囲気が
  気に入っています。




ちぢめるから出て来る文化  時間と時  七回目

🐸

1 ちぢめるの意味を考えますと、何をちぢめるかで、いくつかの意味を
考える事が出来ます。

そして、ちぢめる対象に視線を向けます。すると、次の場面が考えられます。

あ)ものをちぢめるから、盆栽や生花等々の行為が浮かんで来ます。
い)縮小と言い変えてみますと、ひとやものとの間の距離を縮小する行為。

 
う)この距離をちぢめることを精神のレベルで考えますと、
  特にひとに対する(限られた仕方での)気遣い。

え)このう)での気遣いがネガティブに現われる場面


2 以下、う)とえ)を考えてみました。

 だいぶ前、太宰府天満宮の参道の天満宮寄りにあるお店が改修工事を
していました。その工事の足場を作る為に、トラックに積んである
丸い鉄パイプを屋根に登っている職人に投げる場面に
出くわしたのですが、3m程離れてある空間へ投げては
受け取る行為を繰り返します。
一回の失敗もなく、受け手の手に収まって行きます。

恐らく、お互いが相手の人柄や性格を熟知しているからこそ出来るのでしょう。
通りかかっていた東南アジアの若い男女何人かが一斉に拍手したのを覚えています。
生れて初めて観る光景だったのでしょう。

こうした鉄パイプを上の方に投げてはそれを受け取る行為は、日本人だけしか
出来ないのではないでしょうか。

3 今度は、魂同士がある仕方で触れ合っているから、精神的なちぢめるが
否定的な仕方で現われる場合を考えてみます。

知り合いの他者から何かを言われる(相手の顔を見たら何を考えているか判る)。

そしてはっきり、NO!と言うべきなのに言わない。相手の主張を
断わったら、ーーー と(変に)気遣ってしまう。

そして、後になって、もっと気まずいことが起こる(挙げ句の果て、
口をきかない関係になる)。あの時にNO!と言うべきだった!

例えば、市役所などの公的な機関や民間の会社企業においては、更に上司と部下との
人間関係(ちから関係?)が存在し、正しくないことの場合もその上司に
気遣ってしまう。

NO と言わない、言えないことから、気まずいこと以上の世界に
巻き込まれてしまう、そして悪しき従属関係を強めてしまう。

距離をちぁんと取れなくなり、そこから自身の病気、退職等の
自己を持ち続けることが不可能な闇夜が続いてしまう。

続けます
🐢🐢

2020-06-23

ちぢめる      時間と時 六回目


🍅

1 ある国の文化について、全体的な視野を持って言及することは難しい(もう一回大学に入り、史学、歴史学の勉強をしなければならない?)。

「歴史」という新しい言葉が限りなく拡がった『時』を自分のちからで確保しないと
いけないからです。恐らく、ヒトの一生の仕事なのでしょう。

それでも、他の諸々の国の文化と区別されるその国特有の文化を
見つけようとすることは意味があると考えます。

ある国の文化の本質的なものには届かないとしても、その入口を見つける!
現象という言葉を使えば、ある国の文化の現象学的な考察を行なう。

しかしながら、他の諸々の国の文化と違うその国の文化と言うと、また堂々巡りに
なるかもしれませんネ。その他の国をどれだけ、知っでいる?

三回だけ、日本から外国に出ています、一つは香港とマカオに新婚旅行で行っています。
でも、留学のような長期の滞在経験は私には有りません。

結局、文化について語ることは、限られている事に成ります。



2 いま、日本の文化と言う時、日本以外の国との違いを挙げるとすれば、
どのようなことが言えるか?

この視座での端緒となる考察に他の国にには見つけることが出来ない文化を
考える、それが日本の場合、ちぢめる、縮小に求められないかと考えています。
(この考察を読んでいるひとが反論を加える形で、日本の文化について理解を
深めていただいたら、とても良いです)

3 ちぢめる、縮める文化とは、基本的には手先の器用な国民性から来るものと考えます。
それが、ただ手先の問題ではなく、私たちの人格や精神性、更に国の存続に関わります。

続けます。
🍒🍓🍒

緑色とのコントラスト(1)


    コントラストと言っても、唯の対立ではなく、
    対立の中で相互が引き上げられる、
  そうした
コントラストを考えています。

2020-06-14

様々な文化がある    時間と時  五回目

🗻

1 文化と呼ばれるものがたくさんあります、このことをどう説明するのか?

例えば、企業文化と呼ばれるものが有ります。ある何らかの共同体の性格と
その持続的性格を考えますと、約15年から約35年と言った何処か限られた
時間の中での『文化』と言うべきでしょう。

コロナ禍の影響だったのか(その前から経営が悪化していた?)、レナウンという
コートで有名だった会社が五月に倒産しました。
アラン ドロンが会社の特定商品のコマーシャルの中で
 C'est  l’elegance !  と昔、言っていました。
しばらく、会社名を聞かなくなっていましたが、中国系の会社に
系列化されていたみたいです。

2 いま挙げています企業文化に対して、共同体の性格がより強く、また
持続的な性格がより大きいものが有ります。

県(州)、国や言語等々が浮かんで来ます。

これから採り上げる国の文化は、共同体の証として『わたしたちの』性格を
強く持っているだけでなく、その持続性が伝統的と呼ばれることがある程の
長さを保持しています。


3 ところが、改めて世界に目を遣って国の文化を考えますと、簡単では
ないことに気づきます。

判り易さを第一にし、オリンピックで掲揚されます国旗を巡る苦労話を
紹介する仕方で国の文化を考える、これが今日の考察の眼目です。

日本で開催された1964年のオリンピックの前の準備段階で、23歳で
オリンピック組織委員会の国旗担当専門職員になった御方の話しを
そのまま、引用紹介します註)。

現在79歳で NPO法人「世界の国旗・国歌研究協会」代表の
吹浦忠正氏がそのひとです。


4 国旗のデザインと旗布が決まり、試作品を作る、そうして組織委員会は
各国にその承認を求める。

この承認を求める段階での苦労話が以下である。

🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮 🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮 🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮 🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮 🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮

  一番苦労したのは、アイルランドです。アイルランドの国旗は、
  緑、白、橙の3色からなる(旗棹側が緑)。
  この緑の色にどうしても納得してもらえないのです。

  見本を送ると『もっと緑を淡く』と言うので、再度送ると、
 『もっとグレードを高く』。

  7回目になっても承認を得られません。

  残り1年、半年ーーーーーーと開会式は迫り、焦りが募る中、7回目の返信には
 『緑は私たちの誇り。それを忘れないでほしい』とありました。

  考えてみれば、アイルランドは実に森の美しい国。緑の深い国です。そこで、
  思い切って緑を手染めにしてみると、8 回目にしてようやく OK が得られたのでした。

  それが開会式のわずか 10 日前のこと。ーーーー途中一部省略ーーーーーーーーーーー

5  今考えれば、アイルランドはケルト人の国ですが、長らくイギリスの
  支配下にありました。彼らにとって、国旗の中で唯一ケルト民族を代表しているのが
  緑です。あの”こだわり" には、国旗に込められた民族の誇りや象徴性が
  端的に表れていたと思います。


🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮 🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮 🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮 🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮🇨🇮

註)週刊新潮 2020年 6月11日号 64ページと65ページを参照
    








 

2020-06-07

教会が始まる

🗻

1 6月7日から教会の御ミサが始まるという今日、その日曜日の早朝、
出て行く時にマスクを確認(マスク無しでは入れない可能性あり)。

6時半のミサに出席。聖堂の中を一瞥すると、一つの長椅子に二人座った感じ。
僕はコロナ対策で、空いていた一番前の席に座る。

2   何時もと違う事がいくつかあった。

神父が説教中に、出席者のある家族を詰る言い方をしたので、後ろを振り返ると
 4、5名(夫婦と子供達)が
離れない仕方が座っている。

すぐにその一家は対応できず、まだ準備しないでミサに与って
いるようだった。

信者が奉仕する聖体行列がなくなる。
神父が聖体を与える前に、手を消毒する。この為に祭壇奉仕者の神学生が
教会入口に置いてある消毒液を取りに行ったのは可笑しかった。

聖体のパンを両手で頂く際、マスクなしの神父が右手を伸ばす時、
信者も余り神父に近付いてはいけない。
上半身を少し傾ける感じが良い。

3 一番ミサに出たのは、出席者が少ないから、前後と左右の信者を
余り気にしなくて良いかも、と考えたからだった。

前後の椅子の間隔も拡げてあった。

ただ、歌を唄わないことになった、新しいやり方は気になった。
マスクしないと出席出来ない筈だから、マスクして唄っても大丈夫ではないか?
歌を通して神を賛美する場面がなくなるからだ。

しばらく、一番ミサに出ることにしている。

追伸:三位一体の主日でしたが、教会の社会学的な考察にして、終わっています。
🗻🗻

2020-06-01

トッドさんがコロナ禍を分析したら

🗻

1 これまで続けて来ています自分のエッセイの基本的なコンセプトは、
あなたが何かを考える時、まず浮び上がっている言葉を二つに分けなさい!でした。

二つに分けて、自己の考察に取って本来的なものを絞り込む、絞り出す。
つまり、本来的なものと非本来的なものを別ける。

これが自分のエッセイのスタイルでした。

ところが、現在、世界中の国々がその対策に苦しんでいると診られる
新型コロナウィルス肺炎に関しては
二つに分けて考えるちからが自分にありません。

2 今日、新型コロナウィルス肺炎に依る死者の意味を二つに分けて
考察出来る、フランスの歴史人口学者であるトッド(Emmanuel Todd)さんを
見つけました 註1)。

3 トッドさんの考察のポイントは、人口10万人当たり何人死んでいるか、
その数を基準にして考えるというものです。


すると、先進諸国の感染状況から、「重度」の国々と「軽度」の国々に
二部出来ます。

重度で最も悲惨なのが(人口10万人当たり死者の数が)  80人を
超えたベルギー。
スペイン、英国、イタリアが 50人台で続き、
フランスは 40人ほど。
米国は約30人です註2)。

4 これに対して、軽度の国々とは、(人口10万人当たり死者の数が)1人以下である
韓国、日本、シンガポールなど。
コロナ禍の猛威に震えた欧州にあって約10人のドイツ、
10人を切るオーストリアは例外的に軽度と言えます。

5 こうした重度と軽度の違いは、トッドさんによれば、文化人類学的に説明出来る。

重度の国には個人主義とリベラルの文化的な伝統があるのに対して、
軽度の国には権威主義か規律重視の伝統があります。
中国もそうです。

概して権威主義・規律重視の国が疫病の制御に成功しています註3)。


註1)読売新聞  5月31日 6面の記事 『コロナ禍で見えたこと』 参照
註2) 米国の場合、州によって大きく異なる。北東部は重度です。ニュウヨーク州は
   150人にも及ぶ、とトッドさんは言っています。
註3)新聞の記事は、より本質的な考察に入りますが、カットしています。
   70歳以上の高齢者の死者の数が極めて多い、とありました。
🗻🗻