1「日本の青春」という表現を
使うことは、誰も学者の中には、
居ないかも知れません。
また、実際に、ここからが青春時代
だと 線引きしようと企てることは、
無謀なことに見えるかも知れません
2 故司馬遼太郎は晩年、日本の
歴史学者ですが、稀なことに、
哲学的思索の出来るひとでした
(普通は只の歴史学者であることが多い)
彼のエッセイ集の中に、次のような
言葉を見つけました
----- 自分を自由にする思考 ----
3 自分を自由にする思考 とは
けだし、自分を自由に し な い
思考の反対でしょう
まず、自分を自由にしない思考
とは何でしょうか?
トマス・アクィナスの
Objectio , Sed contra にあやかり、
後者を先に観てみましょう
4 英語の deliver とは、そこから
何か飛び出す感じです。
配達する、出産する、スピーチする、
liberty という名詞は、そこから
自由と訳されます
そして、体制の自由を表す
freedom とは区別されます
註1)
5 いま、「体制の自由」とは異なる
意味のポジティブな
【liberal 自由な】に向かう前に、「自由にしない」に
眼を向けてみましょう。
けだし、3 で私が言った
《自分を自由にしない思考》とは
この「自由にしない」の
ひとつの在り方です
6 とにかく、ある と同じように
自由という言葉も多義的です。
そのことに注意する必要が
あります。
つまり、厄介な言葉です
註1) 後で、日本の近代の歴史で
この意味での自由に言及します
💮続けます
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