5 いま、Henleの本について何か
書くために、まず哲学的な世界から
離れて、分有というものを考えたい。
着目するのは日常語としての「与る」である
そして、この「与る」が見出される世界の一つが新約聖書の世界であろう
形式的な側面で、御ミサに 与 る。
また、本質的な側面で、
十字架に 与 る。神の愛に 与 る。
神を 信 じ る 等々
それは、驚きでもって、人間を
越えた価値に 頂 く ・ 与る世界で
ははある
6 決して、分有はわたしたち
から離れてある言葉ではない。
何か離れている、と思うのは、
所有と言う「反分有的な」な
世界にのめり込んでいるからでは
ないか
7 Henle の著作 聖トマスと
プラトニズムは、トマス全著作
からの引用が中心である。
特にアリストテレースのプラトーンの
分有と言われるものを注目して、
トマスは言及するのである
そして、そのアリストテレースに
従う形で間違いだ、とトマスが
是認する箇所を中心に著者は
引用していく
残念なことに、時代的制約により
直接、プラトーンのテキストに
触れることが出来なかった
トマスは、アリストテレースの
「メタィジカ(形而上学)」等を
そのまま是認したことが
背景にある
8 だが、アリストテレースは
プラトーンの分有の考え方を
何処で見つけたのだろうか
分離実体に個物が与る、と言う
言い方はプラトーンの何処にも
見出だせないからである
続ける
0 件のコメント:
コメントを投稿