2022-05-14

ハビトゥスの探究の始め 《2》

  ある言葉がある、その言葉を目の前にして

何かを問う、これは 普通  誰でもやることです

 

habitus について トマスが 問うと言えば、日本語で

habitus についての本質そのもの、になると

考えたくなります

 

ところが、そうならなくて、複数の

habitus について、それが何かを問い始めています

 

2 これから、長いこと 探求が予想される

habitus について、最初の頃 articulus

いきなり その本質そのもの 何かは

有り得ない、と考えられるのですが、

しかし、

複数の ハビトゥスをいちいち、念頭に浮かべて

それが 何かを語りだそうとする

トマス・アクィナスの光景とは

明白では有りません

 

  なお、注意を払えば、あと一つ補足が

必要です。

本質と訳しています substantia について、ギリシャ語 の

ousia  との関わりですが、ens substantia

ある を 表わします

 

ある に関して

一般的で広い意味の ens   これに対して、

厳密で狭い意味での 使用方が substantia  です。

ギリシャ語では、ens on    substantia 

ousiaが対応しているのです

 

 

脱線しますが、あるの 代わりに、普通は

存在 と 訳されるのですが、存在が日本語で

広まるのは、ごく最近のこと、この100年足らずです

 

ハイデガー の 著作 Sein und Zeit  の 最初の訳では

有 と して出てくる言葉です

 

ある  は実は、限りなく私達からは遠いのです

 

続きます

 

 

 

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