2021-04-23

🎢 image と image でないものの線引き 理性と時間(2)

  知性 と 感覚を区別する考察において厄介な問題が有ります。

 

Imageという言葉を何処に置いたらいいのか?

 

どういうことかと言えば、 image と呼ばれる存在は、

感覚的な働きにおいて見出されます。

然しながら、この存在はまた知性的な働きにおいて

も見出す事が出来ます。

 

  image を 感覚のちから、知性のちからと同じような視点で、魂のどの様なちからかと問うてみますと、

想像力 imagination がそれに当たります。

 

今までの僕のブログ記事の考察手法である

『二つに分けて考える』を適用して

image―想像力を再把捉しますと、

想像力は二つに区別されます。

 

感覚に近い想像力 と 知性に近い想像力です。

 

3 朝の目覚めの音楽ということで、グリーグの

ペールギュントの音楽とベートーヴェンの「田園」をよく聴きます。

 

グリーグのペールギュント  第一組曲は、僕の

小学校卒業式の開式の音楽でした。二列に

並んで、合わせて三クラスの生徒が会場の講堂に

入って行く際に流れた、如何にも朝 (=別れの朝?)という音楽でした。

 

この音楽を聴くと、今でもその場所、講堂の中の

Image が生き生きと浮かんで来ます。

 

4 難しいのは、この想像は、感覚的なimage に属するのか、それとも知性的な image に属するのか を定めてしまうのが、簡単ではないことです。

 

恐らく、人生において初めての別れ・離別を

経験したことが根底にある為、自分の

心の中で知性的な image

算入されているように考えています。

 

その後の卒業式は、中学であれ高校であれ

記憶にないです。  

 

5 上の話しは、耳から入って来る音楽を念頭に

置いて image ― 想像力を考えてみました。

 

全体として理性とは何かを考える端緒ですが、

次回は 目に見える世界で image ― 想像力を

考えてみます。

 

🙁😧🙁

 

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