2021-02-21

🦆嫌いな言葉

🦆嫌いな言葉

 

宗教という言葉程、嫌いな言葉はないです。

 

これまでの投稿における、二つに分ける考察の仕方で、批判してみます。

 

1 理性、理性的という視点から、宗教という言葉を火に焙ってみると、日本だけではなく

何処の国でも、宗教は非理性の領域に入るのだろう。

宗教は非理性的なカテゴリーに入る。

 

2 理性、理性的と言葉を使うと、非理性また非理性的という言葉と

境界を引かなくてはならない。

 

理性のギリシャ語の語源 logos に さかのぼる。語る、 言葉 から来ている logos は、

その反対が

alogos である。この意味は 言葉から離れた存在である、感情や情念を現わす。

 

それでは、宗教は非理性的なカテゴリーに属する、と私が言う時、

alogos の感情や情念に 属するのかと言えば、勿論、違う。

宗教は厳密には感情ではない、そういった側面がどこか、認められるとしても。

 

3 ロゴスは理性的なものであり、そしてこの理性的なもの産み出す

魂の存在に眼を向ける時、理性という言葉に出逢う。

 

alogos の産地が感覚であり、直覚的な感覚と欲求的な感覚に分けられる。

今の時代の特徴を表すalogos 的な言葉が、例えば欲望で代表される。

 

 🦜   株が3万円を超えたって!!、さあ、いつ大暴落するか、楽しみだ!

🦜 株価が1万に成ったら買おう、人から借金して!

 

差し当たって、こうした感覚のレベルでの把握と欲求を超えて

働く知性や理性の働きを反省してみます。

考える、計算する、推測する、意志する、愛する――――――

 

数え切らない程の理性の働きが見出されます。

 

4 宗教という曖昧な言葉が、あるひとに接近するのは、

上で言及した理性の働きが上手く行かない時だと考えます。

 

信じて生きてた理性の働きに疑問符が出て来る時です。

 

産まれつき、自然本性的なものとして頼りにしていた自分に

絶望するのです。

 

しかも、この絶望は自分を取り巻く環境世界を切り離しては

考えられません。働く会社での信じられない悪、自分の家族

での耐え難い悪、簡単に言えばある種の地獄との出遭いです。

 

5 自己を持ち続ける、善きものとして自己を守って行くことが

出来ないのです。もう死んだほうがマシだ。

 

こういう非常事態、内面的な非常事態、加えて、移ろう時間の虚しさ、

空虚さを経験してしまうのです。

 

 

宗教が有意味に見えるようになるのは、

宗教が理性を超えている、しかも理性よりも優れていると

考え始める時です。

 

気をつけてください。

ある宗教家が上から、ヒトを、人の理性を見下すように嗤う時

彼はこの世を良く知っている人間として現れます。

 

6 今日は、感覚、理性、そしてその上にあるように見える宗教という

階段型の世界を考えてみました。

 

理性と信仰を決定的に区別してしまう世界です。

 

もしも、あるひとがいろんな意味で恵まれていて、理性だけでok

なら、理性だけで一生、全うするならば、宗教という世界は

理解不能な彼岸の世界でしょうね。

 

😁続きます。

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