🌏 保存した、と思っていたら、投稿になっていた。 腹這いになって、文字を打っていたからか(いや、アルツハイマーのせい?)。
今は椅子に座って投稿をしています。
前回の記事の残りをお読み下さい。
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1 後者に関して補足します。
理性と感性を区別します。
この区別は解かりきったようにみえます、特に現代社会で生きている人間には。
解かりにくくなるのは、想像 imagination という概念を持ち出し、
理性と想像は何処で区別されるのか? また 想像と感性は何処で区別されるか、を
かんがえはじめることです。
2 具体的に話を進めますと、
今、眼が失明しているひとがいると仮定します。 すると、そのひとにとっての、
理性と想像の違いをどのように考えたら良いのか。
理性の意味をその働きの視座から明らかにします。
すると、計算することがまず、浮びます。ひとが外に食べに行き、勘定します。
高いと安いの判断が起ります。 Reason から来る reasonable が 安い cheap の
意味で使われているのは面白いかも知れません。
ところが、ここで、想像力という想像の働きはどう関与しているか?
さらに、推理するという理性の働きに眼を向けて下さい。
推理する時に、想像のちからが入いっててくるのではないか? もっと
強く言えば、想像のちから無しに推理が有るのか。
失明して生きている人間には、特に見るちからは失われていると
考えられますが、想像のちからが支配的な仕方で推理するのか。
3 これからのわたしの考察の仕方は、これまでの投稿のなかで一貫して
来ている手法を用いる遣り方です。
つまり、何かを考える時、二つに別けろ、です。
感覚という働きがある。想像力という働きがある。理性の働きがある。
感覚の働きを二つに別けろ。
想像力を二つに別けろ。
理性の働きも二つに別けろ註)。
考察を続けます。
註)
後でしか、触れませんが大きくは、いわゆる理性の働き(観想的、実践的な
理性)と、意志の働きの二つがある。
さしあたり、上の記事のなかでは、想像力を二つに別け
理性的な意味での想像力と感覚的な想像力を考えています。
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