2020-10-31

時間と魂の存在 一回目の続き

 

 

🌏 保存した、と思っていたら、投稿になっていた。 腹這いになって、文字を打っていたからか(いや、アルツハイマーのせい?)。

今は椅子に座って投稿をしています。

 

前回の記事の残りをお読み下さい。

 

 

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  後者に関して補足します。

 

理性と感性を区別します。

 

この区別は解かりきったようにみえます、特に現代社会で生きている人間には。

 

解かりにくくなるのは、想像  imagination     という概念を持ち出し、

理性と想像は何処で区別されるのか? また 想像と感性は何処で区別されるか、を

かんがえはじめることです。

 

2 具体的に話を進めますと、

今、眼が失明しているひとがいると仮定します。 すると、そのひとにとっての、

理性と想像の違いをどのように考えたら良いのか。

 

理性の意味をその働きの視座から明らかにします。

すると、計算することがまず、浮びます。ひとが外に食べに行き、勘定します。

高いと安いの判断が起ります。 Reason から来る reasonable が 安い cheap

意味で使われているのは面白いかも知れません。

 

ところが、ここで、想像力という想像の働きはどう関与しているか?

 

さらに、推理するという理性の働きに眼を向けて下さい。

推理する時に、想像のちからが入いっててくるのではないか?  もっと

強く言えば、想像のちから無しに推理が有るのか。

 

失明して生きている人間には、特に見るちからは失われていると

考えられますが、想像のちからが支配的な仕方で推理するのか。

 

3 これからのわたしの考察の仕方は、これまでの投稿のなかで一貫して

来ている手法を用いる遣り方です。

つまり、何かを考える時、二つに別けろ、です。

 

感覚という働きがある。想像力という働きがある。理性の働きがある。

 

感覚の働きを二つに別けろ。

想像力を二つに別けろ。

理性の働きも二つに別けろ註)。

 

考察を続けます。

 

 

註)

後でしか、触れませんが大きくは、いわゆる理性の働き(観想的、実践的な

理性)と、意志の働きの二つがある。

さしあたり、上の記事のなかでは、想像力を二つに別け

理性的な意味での想像力と感覚的な想像力を考えています。

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