2020-07-06

ちぢめるの成功       時間と時 八回目

🗻

1 1853年にアメリカのペリー提督が黒船に乗って日本、浦和沖に現れ、
当時の江戸幕府に開国を迫ります(アメリカにはグローバルな視点があり、
中国大陸へ行く途中で水の補給の為の寄港先が必要でした)。

石炭を燃やして蒸気のちからで動く黒船を、日本人が見たのは初めてで、
驚愕の出来事でした。

それから19年後、1872年(明治五年)に蒸気機関車が初めて、東京新橋ー横浜間27Kmを
走ります。イギリスの技術で作られたのです。
所要時間は1時間でした。徒歩であれば、約7時間掛かる距離でした。

2 この段階では、それでもまだ、前回の記事で言及している
い)距離をちぢめるのレベルです。。

ところが、日本の鉄道は1872年の新橋と横浜間の開通後、1889年に
東京、名古屋、京都、大阪そして神戸へと拡大、拡張します。
更に1891年には北海道から九州までの鉄道が敷設完備されてしまいます。

3 日本全国という視点から考えますと、ただ単に鉄道網の完備による距離の
縮小と言うより、精神的な意味での日本の国土の縮小です。これまで、遠かった所が
遠いようには見えない。


しかし本質的な点に眼を向けるなら、それは、ヒトが首都東京へと自由に行ける体制が
出来た事です。ヒトとおカネが東京に集まり、東京を中心にした経済体制が強化されます。

歌人の正岡子規が四国の自分の旧藩から上京を希望し、それが叶うと
三度、万歳したと言われますが、
幕藩体制の下では、その藩から抜け出ることは困難なことでした。

明治維新後も人々の精神的な部分は幕藩体制の封建的な思想を引きづっていて、
こころの近代化を推し進めることは難しいことでした。

200あった藩(国)が廃藩置県で、東京の明治政府を中心にした体制に変わりますが、
近代化した人間の本質的な側面である、個人主義という視点が
鉄道敷設という技術のちからで生まれたのはいくら強調しても、
強調し過ぎることはないと思います。

結果的に、近代化した西欧諸国やアメリカの植民地支配から
日本の独立を守る事が出来たのです。

この鉄道網の完備の中、1889年に近代国家の象徴である憲法が発布されます註)。

註)上の考察の全体は、竹村公太郎氏の「日本史の謎は地形で解ける亅
三部作(PHP出版)に依っています。三冊のうち、特に文明編のニ章を参照。

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