2020-01-11
ノーベル平和賞を受けるのが相応しかった医師
1 ペシャワール会 アフガニスタン( アフガニスタン・イスラム共和国 )現地代表の
中村哲医師が昨年12月4日に、西にイラン、南と東にパキスタンに囲まれた国ー
ー卵が少しへこんだ形に見えるーーの
アフガニスタンで車で走行中に、銃撃され、逝去されました。
その後、御遺体が帰国し、福岡市動物園入り口近くにある葬儀社で
告別式が取り行われました。
偶然、その告別式当日の夕方、福岡にあるテレビ局の番組のなかで、
亡くなられた中村さんの御顔が、アップで画面上に拡がったその時、
思わず自分の眼から涙が溢れ出しました。
中村医師の顔が死を超越したように見え、
とても美しかったからです。
美しいとは、あるの把握の厳密な表現で、恰も存在そのものにみえたのです。
2 医師の中村さんは、アフガニスタンに32ある州の中の東部の州、
ベンガルハル州(その西方向近くに首都カブールがある)において、
白衣を脱ぎ、そして何と、自ら掘削機のショベルカーを操作し、
灌漑工事を行う、そうして
砂漠の中に用水路を建設したのでした。
砂漠に福岡市半分程の緑地が拡がり、現地の人々の何十万ものの人々が
その救いの業に与ったと言われます。
中村氏の次の言葉が、氏の真理を端的に表しているのでは。
『診療所を100個つくるよりも、用水路を1本つくった方が
どれだけみんなの健康に役立つのかわからないと医者として
思いつきますよね』註1)
3 以下の記事は、最近のある新聞記事 註2)に動かされ、
書いています。
この記事のタイトルが、
「アフガンの罪人と聖人(フィリップ スティーブンス 註3)著名入り記事)」。
美しいと言う言葉と聖人と言う言葉が私の頭の中で結びついたのです。
アフガンの罪人とは、アフガニスタンの戦乱を収められなかった
外国の軍隊を指します。
19世紀の英国や20世紀の旧ソ連そして2001年九月に起きた米国同時テロ事件の
後にアフガニスタンに侵攻して来た米軍を指しています。
記者のスティーブンス氏が記事のなかで特に、罪人の名をあてがうのは
現在も駐留しているアメリカの軍隊のことです。
4 この記事の後半部、全体のなかでは割かれ方が少ないペィジの中で、
中村医師がどうして聖人と呼ばれるのにふさわしいのかを語ります。
そのまま、引用します。
〜〜〜
『対照的に』 中村医師はアフガニスタンを理解していた。パキスタンでしばらく活動し た後、1990年代にアフガニスタンのナンガルハル州に診療所を設立した。日本の非
政府組織の支援を受けて地元の人々のの医療に取り組み、治療している病気のほとんどの原因が、栄養不良と水源不足に行き着くことに気がついたのだ。
そこで、自分自身が土木技師になろうと考えた。2000年代の初めから
灌漑水路網の建設を監督し始め、広大な砂漠に生命をよみがえらせた。
設計に当たっては、日本に数世紀前から伝わる仕組みを取り入れた。複雑な重機使わずに建設でき、何より重要なことは、地元の人々の手で維持管理が出来ることだ。
この水路建設によって数十万人の生活が一変した。
〜〜〜
5 上の引用文の最初の出だしの言葉、『対照的』とは、中村医師が現地の人々を
徹底的に知ろうとした、それとは正反対のこと、つまり、アメリカの軍事関係者は
アフガニスタンの人々をよく知ろうとしなかった、を意味します。
『米に中村医師の知恵があれば』というサブタイトルが付いていますが、その通りなのでしょう。
最近のアメリカの動向について、アフガニスタンに展開している
1万2000人ほどの米兵を帰国させる方向にあると、
スティーブンス氏が言っていることを補足して、考察を終わります。
註釈1)西日本新聞 昨年12月26日 中島岳志の論壇時評記事を参照
なお、今日の1月11日に掲載の写真は、この論壇時評の記事のなかに入っていた
中村医師の用水路建設工事に従事する写真をお借りしています。
その他、西日本新聞の記事にお世話になって書いています。
註釈2)日本経済新聞 1月8日:英フィナンシャルタイムズのコラム(1月2日)の
翻訳の掲載記事
註釈3)記事の著者の肩書は、チーフ ポリティカル コメンティター
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