2020-01-30

歩いても歩いても、小舟のように

🍒笑い話

福岡の東、妻の知り合いのお家でオペラの鑑賞会がありました。
この鑑賞会を開いておられる大柳さんは、オペラの為なら外国にまで
聴きに行くことを厭わないひとです。この鑑賞会は何年も続いています。

午前中、DVDでオペラを観ての鑑賞会、お昼過ぎから食事会
(どうもコチラがほんとうの目的?)があり、
出席者六人がそれぞれ、持ち寄った食べ物と大柳さんが
作った料理がティブル一杯に並びました。

その日の目玉は、松阪牛と高級ワインでした(僕はまだ、
食べたことがありません)。

会が終わり、出席者が退出して行きました。

ワインのせいか、道路に出るとみんな陽気になり、はしゃぎ出しました。
妻と一緒にいた近所から参加の高齢の女性は、フラフラしながら
歌い出しました。

歩いても〜、歩いても〜ーーーーーーーー
歩いても〜、歩いても〜、小舟のよ〜うに〜ーーーーーーーー

歩いても〜、歩いても〜ーーー わたしは揺れ〜〜て、フーラ フラ!



歩いても、歩いてもーーーオウチに着かないよぅ〜!


結局、家のひとに迎えに来てもらったとのこと。
🍅

2020-01-29

文化の理解を深める      時間と時  3回目

🏖️
1 これまで、自己の経験を中心において記憶を考える考察、
また自己が関わった制度的なものを中心において記憶を考える考察、
これらの後に現在、これらの記憶の根底に見出されるところの記憶、
言うなら、文化を問題にしています。

広い意味での文化とは、その技術的な側面を表す文明と
メンタルな厳密な意味での文化に分けられました。


2 以下の記述は、文明と文化が切り離せないことを
語ろうとします註)。

例えば、1523年にスペインの侵攻を受けて滅んだと
されるペルー地域、南米の文明に顕著に見出される 
技術とは、巨大な石を積み上げ、またそれらの組み合わせの
なかで出来た石垣
(日本の歴史に見るお城の曲線的な石垣とは違い垂直に立つ)
のダイナミックさに見られるのではないかと考えます。

大きな石材を、複数の何種類もの道具用石を用いて叩き削り、
そしてついには磨き上げていく。
石一面の然るべき箇所にその石を宛がい、平らにスベスベに
していく。

石材の柔らかい箇所にはそれに合った先が少し尖った石
(手で操れる石)を宛てて叩き削る、しかし、硬い箇所は
反対にそれを削れる、より硬直した道具用石を用いて叩き削る。

完成した石垣(現在遺跡として残る)は、デコボコが
全くなく、現代の精密なノコギリ以上の精度で
造られているのでは?と錯覚します。


3 この技術文明の中で、紀元前の昔から生きて来た現地の人々が、
当地で産出する金を目的に上陸したスペインの約200名程の
軍隊にたった約二時間で滅ぼされる出来事が
1523年に起きてしまいます。

侵略して来たスペイン人はピストルや大砲の武器を持っていて、人々は
そのちからに太刀打ち出来なかったのです。

4 上で述べている文明のなかで、息づいていた文化(厳密な意味での文化)とは、
太陽を信仰の対象とする太陽崇拝でした。
太陽の光は、作物に栄養を与え、土地を潤わします。

国王は太陽崇拝の儀式を司り、国王の廻りにはこの司式にこれに奉仕する
女性を含めた多数の聖職者が居たのでした。

迫害を受けて居住地のコルドバを逃げ離れ、山の峠道、密林を
約500キロ先まで逃げ、やっとその逃亡先で造営された巨大な石垣。
だから、その文明は実際にはまだ滅んではいなかったのです。

この石垣の凹んだ部分から、太陽が静かに昇って来る瞬間は
荘厳なものです。
日本での冬至、当地では夏至という太陽がピークに達する時に焦点を
合わせて、この石垣の凹みが造られているその天文学的な知識は
今日の現代人には驚きでしょう。

註)以下の記述は次のタイトルのビデオを観てまとめています。
 新世界紀行 世界七不思議の旅編
 インカの秘都 マチュピチュ

🗻







ノーベル平和賞を受けるのが相応しかった医師


1  ペシャワール会 アフガニスタン( アフガニスタン・イスラム共和国 )現地代表の
中村哲医師が昨年12月4日に、西にイラン、南と東にパキスタンに囲まれた国ー
ー卵が少しへこんだ形に見えるーーの
アフガニスタンで車で走行中に、銃撃され、逝去されました。

その後、御遺体が帰国し、福岡市動物園入り口近くにある葬儀社で
告別式が取り行われました。

偶然、その告別式当日の夕方、福岡にあるテレビ局の番組のなかで、
亡くなられた中村さんの御顔が、アップで画面上に拡がったその時、
思わず自分の眼から涙が溢れ出しました。

中村医師の顔が死を超越したように見え、
とても美しかったからです。

美しいとは、あるの把握の厳密な表現で、恰も存在そのものにみえたのです。


2 医師の中村さんは、アフガニスタンに32ある州の中の東部の州、 
ベンガルハル州(その西方向近くに首都カブールがある)において、
白衣を脱ぎ、そして何と、自ら掘削機のショベルカーを操作し、
灌漑工事を行う、そうして
砂漠の中に用水路を建設したのでした。

砂漠に福岡市半分程の緑地が拡がり、現地の人々の何十万ものの人々が
その救いの業に与ったと言われます。

中村氏の次の言葉が、氏の真理を端的に表しているのでは。
『診療所を100個つくるよりも、用水路を1本つくった方が
どれだけみんなの健康に役立つのかわからないと医者として
思いつきますよね』註1)




3  以下の記事は、最近のある新聞記事 註2)に動かされ、
書いています。

この記事のタイトルが、
「アフガンの罪人と聖人(フィリップ スティーブンス 註3)著名入り記事)」。

美しいと言う言葉と聖人と言う言葉が私の頭の中で結びついたのです。

アフガンの罪人とは、アフガニスタンの戦乱を収められなかった
外国の軍隊を指します。

19世紀の英国や20世紀の旧ソ連そして2001年九月に起きた米国同時テロ事件の
後にアフガニスタンに侵攻して来た米軍を指しています。
記者のスティーブンス氏が記事のなかで特に、罪人の名をあてがうのは
現在も駐留しているアメリカの軍隊のことです。

4  この記事の後半部、全体のなかでは割かれ方が少ないペィジの中で、
中村医師がどうして聖人と呼ばれるのにふさわしいのかを語ります。
そのまま、引用します。



〜〜〜
  『対照的に』 中村医師はアフガニスタンを理解していた。パキスタンでしばらく活動し た後、1990年代にアフガニスタンのナンガルハル州に診療所を設立した。日本の非
政府組織の支援を受けて地元の人々のの医療に取り組み、治療している病気のほとんどの原因が、栄養不良と水源不足に行き着くことに気がついたのだ。

そこで、自分自身が土木技師になろうと考えた。2000年代の初めから
灌漑水路網の建設を監督し始め、広大な砂漠に生命をよみがえらせた。

設計に当たっては、日本に数世紀前から伝わる仕組みを取り入れた。複雑な重機使わずに建設でき、何より重要なことは、地元の人々の手で維持管理が出来ることだ。
この水路建設によって数十万人の生活が一変した。
〜〜〜



5 上の引用文の最初の出だしの言葉、『対照的』とは、中村医師が現地の人々を
徹底的に知ろうとした、それとは正反対のこと、つまり、アメリカの軍事関係者は
アフガニスタンの人々をよく知ろうとしなかった、を意味します。

『米に中村医師の知恵があれば』というサブタイトルが付いていますが、その通りなのでしょう。

最近のアメリカの動向について、アフガニスタンに展開している
1万2000人ほどの米兵を帰国させる方向にあると、 
スティーブンス氏が言っていることを補足して、考察を終わります。

註釈1)西日本新聞 昨年12月26日 中島岳志の論壇時評記事を参照

   なお、今日の1月11日に掲載の写真は、この論壇時評の記事のなかに入っていた
   中村医師の用水路建設工事に従事する写真をお借りしています。
   
   その他、西日本新聞の記事にお世話になって書いています。

註釈2)日本経済新聞 1月8日:英フィナンシャルタイムズのコラム(1月2日)の
    翻訳の掲載記事
註釈3)記事の著者の肩書は、チーフ ポリティカル コメンティター

🌍🌎🌏

2020-01-02

 カイロス          時間と時 2回目

❒前置き❐
平成14年7月『新しい微笑いの詩』に載せた記事のタイトルを
変え、また内容も一部圧縮してその記事を放送しています。 

タイトルは、 
「いのちの輝きだった Greensleeves(「緑の袖」が原意)」でした。


1 古典ギリシャ語には、面白いことに時間を表す言葉が二つ有ります。

一つは、時間の基本的な意味を指し示すクロノス。

例えば、大学生になって受けたギリシャ語で、使っていたテキストの文法の
ある箇所に出ていた文章、
ーーーkronos が医者であるーーは、
苦しみを癒やしてくれるのは時間なんだ、の意味に理解されます。
時間がただ流れていくことが、苦しみの終わりに繋がる。  


2 あと一つの時間を表す言葉が、今日主題となる カイロス です。

このカイロスの持つ基本的な言葉の意味は「旬の時 the right season」です。

しかしながら、これからの記事は、カイロスの意味のなかで、これとは別の意味に
光りを当てて提示しています。

ただある歌を通して、その別のカイロスの意味へと向かう
廻り道をしています。

  〜〜〜〜  〜〜〜  〜〜〜

     💌いのちの輝きだったGreensleeves💕

3  普通、これは女の人、歌手が歌うことの多い曲だが、女性の
  失恋の歌ではない。
  Greensleeves の詩そのものは、女性に袖にされた男の苦しみと
  悲しみを詠うイギリス、イングランド地方の民謡である。


  Alas ,(以下、詩の最初の部分を訳出)

  何と言うことか、酷いことに、貴女はわたしをつれなく
  袖にしてしまった。でも、わたしは貴女をずーっと愛して来たのです、
  貴女と居るのが嬉しくて。

  (コーラス)
  Greensleeves は私の喜びだった。
  Greensleeves は私の幸せだった、何故なら
  Greensleeves は私のこころの輝きだったのです。
  ほんとに、貴婦人のあのひと以外に誰も居ない私のこころの輝きでした。

  〜〜〜〜〜〜〜
4 僕が感じるのは、
 『 greensleeves は私の喜びだった』という過去形の箇所だ。

  わたしの喜びの女性、わたしの喜びの源である彼女がある時を
  境に最早、喜びではない Greensleeves に変わってしまった!

  もはやわたしの喜びではない、Greensleeves とは!。   

  自分のいのちの輝きである、あの満ち足りた時は何処に行ってしまったのか?
  それとも、あの満ち足りた時は何処に行っているのか?

5  時と呼ばれるものの意味が、失恋の叫びを通して変容してしまっている。
 
   昨日の今日、今日の明日という時の流れが断ち切られ、
   現在の時間とは分断された過去の『時』が現在の自分を苦しめている。

   この為であろう、自分を取り囲む毎日の景色が違って見える。
  
   これまでは知らなかった時間、ギリシャ語で特に
   カイロスと呼ばれる『時』が現れてしまっている。

🗻