2019-12-30

時という概念の拡がり    時間と時   1回目


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1 普通、時という言葉は、時間の単なる長さを意味する、つまり
時間の『量的な』拡がりとして理解されます。

これが、時という言葉が使われる基本的な使われ方だと考えられます。

そして、補足すれば、わたしの、そしてひとの過去の経験を語る際、
この基本的な言葉の使われ方を中心に置いて構わないと考えます。


2 これから、量的な拡がりとしての時とは別の意味での「時」を考えます。
つまり、ある『 質 quality 』を伴う、ある質を持っている時のことです。

そして、これまで言及しています(したがって限定されて来ている)文化との
関わりにおいて、特に質を伴う時が見出される文化が有ることを
次回以降に指摘したいと考えます。



3 これまで時間とは、秒刻みの流れ、現在の日常的な幅を持つもの、
そして未来への志向性を包括する言葉でした。
そして、秒刻みの時間と日常として現在の考察に重きを置いていて、
このなかで持続、持続性を考えて来ました。

さて、新しい意味で用いている「時」の言葉の使われ方を考えますと、
歴史のなかで、次の時の使われ方、一例を発見します。

   いまは時  あめが下知る  五月(さつき)かな     
    (天正10年 5月28日 ある場所で詠われた明智光秀のうた
     ちなみに、本能寺の変は同年、6月2日に起こる)

      🚩『下知る』とは命令する、の意味


4 ここでの『時』は、明らかに量的な意味ではなく質的な意味で
使われています。

日本語には、『旬の時』と言う表現がありますが、この言い方は
まさしくやって来た、という時間の高まり、時間の集中を
意味する為に用いられます。

続けます。
🗻

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