過去の記憶(現在まで続く記憶)から、過去から現在まで持続
している制度的なものの記憶に考察が移り、現在、家族という
制度のなかで生きるひとの生き方に光を当てています。
広い意味での制度的なものを大きな類としますと、その下位に見出される
種的な意味での存在、例えば、国そのもの、国の法、言葉、家族、
企業や学校等々、そしてまた更にそこで生きる社会的な規範、
不文律…等々を考えることが出来ます。
その中で、最初に取り上げた家族では、家族の成員一人一人の
人格的なものを大切にすることと家族の制度を守ることの大切さと、
またその正反対に属することを示してみました。
ただし、『かがり姫の御家再興』、『ナオミとルツ』と
『徳川家家臣団の惨状』においては、家や家族の存在を
超えて働くちからが働き、思わぬ仕方で当事者が苦境に
陥る光景に光を当てました。
幕府による改易、飢饉や戦乱、そして明治維新と呼ばれる
時代の変革から生まれた大きなちから、ある種の津波です。
そして、まだ曖昧だったことが残っています。
それは、「人格的なものを大切にする」とはどういうことなのか。
本当は、少しも自明ではないし、決して解った振りをしてはいけない。
この解った振りをしない、ことを続けることがこれからの考察の方向に
成ります。
そして、人格的なものを大切にする、を以下、ひとを愛するしかも、
ある苦しみを伴って、という形で考え直してみます。
🗻
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